はじめに

はじめに

2012年5月31日

「ネットビジネス データベース」


はじめまして

サイトに来ていただきありがとうございます。


ぼく自身の頭の中を整理するためにこのサイトを作ってみました。


サイトをつくりながら、思い付いたいことをここで書いておきたいと思います。



多くの人と知り合い、

関心を持ち、

お互いに啓発されながら、新しい何かを生み出していくために、

サイトを作っています。



残念ながら、ぼく自身が影響を受けることがあっても、

まだ、ぼく自身が誰かに影響を与えることはほとんどありません。

だから、無視されるよりも、

誰かに反論され、意見を聞かせてもらうほうが百倍嬉しいです。

また、感想をいただいたり、会話が出来たときに喜びを感じます。

一人でなく誰かと関わりをもつことに生きる意味を感じます。












いま現在ぼくは、

無料という言葉に釣られ、何度もいろいろなサイトに登録し、

メールが腐るほど届き、情報が錯綜し、

飾り立てた言葉と恐怖を呼び起こす言葉で、

冷静さを失い、貴重な時間を失ってしまいました。



同じ轍を踏まないように、

今まで知った情報をここで整理しようと思います。




判断を促す情報、

感情を書き立てる情報、

さらに知覚できない情報を潜在意識に訴えるサブリミナルという手法があります。





判断を促す情報の基本

5W1H:いつ、どこで、誰が、何を、なぜ、どのようにするか


俗に言うデータ。



判断するポイントは、価値観。


一般的な価値観

利益:儲かる、損する、儲ける機会を失う

メリット:利点、良いこと、利益につながる何か

例:知名度があがる、評判がよくなる、効率がよくなる

欲を満たす:名誉、自己実現、渇望を満たす、望み、夢、幸福感

※夢や希望をもたせ、欲しがらせる

※欲に目がくらみ、遮眼帯を付けた状態になり、他のデメリットが見えなくなる


特殊な価値観:人生観




ネットビジネスでは人生観をマインドセットと呼ぶ。



ネットビジネスのマインドマップ

:大金持ち、不労所得、時間、自由

恐怖:貧乏、社畜、倒産、年金破綻


本当に自由を得るための方法を学ぶにはメンターが必要。

学ぶことが一番。

学ぶことに投資せよ。

学ぶことにお金を惜しむな。

費用対効果を考え、時間を大切にしろ。

無駄なことは一切するな。

一番効率いいのは一人メンターを見つけること。



メンター=教祖


プチ新興宗教ぽいところがある。



メンターは実際に何をしているのか?

浅原彰晃は何を楽しんでいたのか?


人間性を見るポイント


  • 時間の過ごし方
  • 利害関係のない人との接し方
  • 趣味:音楽、芸術、文学、食事
「バベットの晩餐会」





ほとんどの人が、普通と呼ばれる生活を送っている。

人生とは普通の生活を送ることだと思っている。

普通以外は異常。

太平洋戦争のようにみんなが戦争をしていれば、戦争をすることが普通で正しいと思っている。

そして、敗戦。

みんなが戦争は間違いと言えば、間違っているのが普通と思っている。

特徴、自分で考えることをしない。

誰かに頼る。

何よりも、前例とルール、命令を重んじる。

主な関心は自分と仲間と組織、お客様を大切にする意味がわかっていない。

困った人を平気で見捨てる。

自分が責任を取ることを避けるため、自主的に考え、動くことをしない。


自由とは自ら考え、責任を持って行動すること。

責任とは、結果に対して対応する覚悟があること。

無責任とは、結果に対して対応をさけること。



ルールや規則、前例、命令を盾に、特例や例外を認めない事が多い。

責任者とは例外管理ができること。

規則には必ず漏れがある。

その漏れを補うのが責任者だ。

そして、例外、特例を認めた時に不正がないようにきちっと説明責任を果たす義務がある。

説明責任を果たすために記録がある。



汚職、犯罪者の保身のために個人情報保護法があり、その法律を運用している。



同じ事実を見ても感じ方が違う。

なぜだろう?


たとえば、911事件、ケネディ暗殺事件、石井紘基刺殺事件。

多くの人が陰謀論で片付けるか、まったく興味を示さない。

また、興味があっても、何をどうしたらよいか、わからない。


一つだけ気付いた。

政治的無関心、知的好奇心の欠如、政治・宗教のタブー

論理的判断の欠如、感情的に判断・・・



これって、もしかしたらぼくは嘆くけど、

教育の狙い通りなのかもしれない。



考えないで宣伝、広告に敏感に反応する。

まるでパブロフの犬のように期待通りの反応を示す。


考えてデモに参加しているようで、

実はデモでガス抜きされて満足しきっている。

デモの主催者は盛り上がった大成功ですと喜び、参加者も喜ぶ。

具体的な目標もなく、本来の目的も果たすことがない。

いつのまにか、参加者のほとんどが一人でも何かするという意識がなくなり、

指導者に頼りきりになり、自分で考え判断しなくなる。


なぜか?


考える能力を去勢されてしまったから。




去勢された人々に、考える質問をしてはいけない。

なぜなら、お互いに不愉快な思いをするから。

考えることを去勢された人は、考えるような会話を嫌がる。

たいてい質問しても答えず、話をそらすか、ただ黙っているだけだ。



イメージしてほしい。


聖書でアダムとイブがりんごを食べるシーン。

アップルのロゴ。

座禅で外界の情報をたち、自分自身を内観するシーン。








嫌なことや考えを去勢された人々に意識を向けるより、

考える人に意識を向けようと思います。




言葉をかわし、お互いほどほど関心を持てる関係が好きです。

中毒になって離れられなくなるのがちょっと怖いです。

中毒になりそうな魅力的な人が多くて困ります。

虜になって自由を失うのが怖いから。

虜になってしまうとそのことが一番になる。



宗教は神様に虜になることを勧め、

その代わり、責任は問われず、神様が責任を取ってくれる。

神の奴隷、しもべとなる。

神のしもべから独立することを、分身、分神という。

守破離の繰り返し。

宗教の分離、分裂は不思議ではない。

多神教といえども、その源やリーダーは一つだ。



つまりこういうことだと思う。


全ては地球から生まれた。


宇宙から生命体が地球に来たかもしれない、という人がいるので、

言いなおします。


全ては宇宙から生まれた。


物理的に見れば、

生まれて、死んで火葬されようが土葬されようが鳥葬されようが、

物体は形を変えるだけだ。


物体的なものの見方以外に、

エネルギー的見方や精神的見方もある。


目に見えない感情や思念がある。


基本的に構造は同じ。

組み合わせは無限大。

変わらぬ変化するという原則と、無限大の変化。


易経の数学的思考がぴったりフィットする。

太極という一つの始まりから、

陰と陽が分かれ、

再び陰と陽が結びつく。

陰と陽の組み合わせは無限大。

しかし、易経では基本的な64のケースを紹介し、

さらにケースごとに6通りの特殊事例を紹介している。

易経は8つの要素の組み合わせで64の基本的ケースを紹介。

さらに、各ケースごとに例外的な事例を6つずつ計384の特殊事例を示している。


すべては一つから始まり、分かれて多様化していく。


それぞれの環境で独特の発展を遂げ、さまざまな文化をつくりあげた。

そして、今もあらゆるものに啓発され新しい文化が生まれている。




ある時、奴隷だった者が主人になり、

奴隷を使うようになった。

奴隷に対して責任を持つようになった。

はじめて責任を感じ考えるようになった。

奴隷に対して主人は神だ。



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twitterでフォロワーを増やすこと、

メルマガやブログで読者を増やすこと、

facebookで「いいね」を増やすこと、

悪い事じゃないけど、ただ増やすだけでは良好な関係とは言えない。

目指す関係は、お互いに啓発される関係だ。


相手の良い点、悪い点をきちんと理解し、

相手の言葉に耳を傾け、反応しあう関係だ。


考えて見てほしい。

儲けを優先して、集客と利益を優先しているお店。

お客様に喜んでもらうことを楽しんでいるお店。

お客さん一人一人覚えていてくれて声をかけてくれるお店。

一時的に儲けて初期投資を回収できればすぐに撤退する店。



限られた時間の中で、どんなお店と付き合いたい?



ミスやクレームに対し真摯に受け止め対応する人もいれば、

口先では謝るが何も改善しない人。

無視する人。




お店、街、社会は、ぼくたちが望む姿をしめしている。

たとえ今は汚れていても、調和のとれた社会、街の姿をイメージでき、

そのイメージに向かって進めば辿り着ける。



考える人のみをイメージすることで、

志を同じくする人が集まる。


嫌なことに目を向けてはいけない。

目を向けた方向に進んでしまうから。


ぼくは、人の考えが変わる瞬間に感動する。


イメージしてみてください。

墨汁のような真っ黒な水に、水を浄化する濾過バクテリアの溶液を一滴たらし、

しばらくすると水が透明になる。



言葉や物語は心を浄化する。

逆に真っ黒に恐怖に染めることもできる。


しかし、どんなときでも、どんな情報であっても、

自分自身がどのように感じ、どのように反応するか選ぶことができる。


パブロフの犬のように訓練されると飼い主の期待通りに反応できるようにもなる。

ちょうど戦争のように、経済活動のように、飼い主に期待された行動をとることもできる。

自分自身が選んだ行動を政府や会社のセイにして責任を逃れる人もいる。

人のセイにしても成長はできない。



自分の行動を自分の意志で選べる人と話がしたい。




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心が変わるにはストーリーが必要だ。

昔から多くのストーリーが語られてきた。

聖書しかり、お経しかり、易経も。

最近は、せっかく良い話なのに、感動を伝えることなく、法律のように教える人がいる。

ストーリーは、心の琴線に触れることができる。


文学は、心に空虚を感じ、満たすものを探しつづける人に何かを伝えることができる。




同じ地球にいるのに。

感じ方が違う。

なぜだろう?




でも空虚さを感じない、人の気持ちをわかろうとしない人よりも、

空虚さを感じる人の方が好きだ。

感動を感じるあと一歩。


儚さを感じることができなければ、

ありがたさがわからない。


慣れや驕りからは感動は味わえない。



感謝し、

褒め讃え、

応援しあう仲間がいれば何もいらない。

というより仲間はたくさんいる、きっとただ気付かないだけだろう。




異なる考え方であっても、

考える人というだけで嬉しく思い親しみを感じる。



応援してくれる仲間は人間に限らない。



地球、太陽系、宇宙

分子、原子、素粒子、エネルギー

あらゆるものが助けてくれる。


すべてのものに、

物理的、精神的さまざまな次元をフラクタル(相似形)に感じる。




遺伝子、受精卵、細胞分裂、各種組織、一人の人間

一人の人間の中に様々な微生物が共生している

一人の人間が集まって、いろいろな組織、社会が形成されている


一人の人間の中に存在する細胞は、宇宙の星の数に匹敵するという。

一人の人間も一つの宇宙と同じだ。

一つ一つの細胞にとって、僕の意志は宇宙の意志のように感じているのだろう。

よく「大河の一滴」という言葉を耳にする。

「我々は大河を流れるちっぽけな水滴のようなものである」 という意味に使われる。

しかし、一滴であっても青酸カリのように大勢の人を殺傷することもできるし、

濾過バクテリアのように汚れた水を浄化する細菌もいる。

また、一滴にもならないただの言葉でも、偉人の言葉のように、大勢の人を救うこともできる。

6万人集まろうと変わらないこともあるし、たった一人の行動で変わり始まることもある。

量や質も大切だが、それよりも思い、情熱が人を動かす。




声をかけ、歩きはじめることで仲間を知ることができる。



誰かを変えようとするよりも、

歩き続けて、多くの仲間に会うことに目を向けよう。




自分自身でゴールを見つけ、辿り着くために








サイト運営者の逆鱗に触れ、私もサイトも消されてしまうかもしれません。

もし、心に何かひっかかる言葉がありましたら、どうかコピーして保存してください。

たとえ、私やサイトを消すことが出来ても、一瞬でも読んで下さった心に残った言葉は、

誰も消すことはできないからです。



そして、その志が誰かにまた伝わり、いつか花開き、

桜の花のように一斉に咲き誇ることができるのです。





映画では、心が震えるシーンに出会える。

心を動かすきっかけ、出会い。

仲間、対立、障害、挫折、復活、達成。



マネジメント(経営学)と同じだ。

プラン(計画)、ドゥ(実行)、シー(改善)

計画の前には、思い(目的)、方針がある。

そして、改善の前には、記録がある。


世の中の多くがこの記録を改ざんしたり、

隠したり、都合のいいところだけ見せて、誘導する。




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